歴史に残れ!我が思索記

適当に考えたことを適当に書き残していきたいと思います。

他人の目を気にしすぎる人は、自分を「変人」と思い込むべきだ

みなさんこんにちは!

本日も読んでくださいましてありがとうございます!

みなさんは「他人の目」を気にしたことありますか?
「他人からどう見られているか、どう思われているか」を気にしてしまって、自分の思う通りに何かをできなかった方は多いと思います。

今回は、「他人の目」を気にするよりも、自分の正しい、興味のあることをやった方が生きやすいこと、そして「他人の目」の思い込みをどう排除すればいいかを思索していきたいと思います。

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他人の目を気にしますか?

なぜ「他人の目」を気にしてしまうのか

 多くの人は、自分のやりたいこと、発言したいことがあっても、他人の目を気にして行動に移せません。
なぜでしょうか?
それは自分のことを「普通の人間」と考えているからに違いないでしょう。
「普通の人間」と考えてしまったら、あまり目立ったことはするべきでなく、周りの人間と合わせなければならないという思い込みができてしまうのです。

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例として、学校の授業中に先生の板書が間違えていて、指摘したくなっても、みんなが黙っているから、自分も何も言わないでおこうとなった経験をしたことがある人は多いと思います。
そして、誰かが自分の言いたいことを指摘したら、自分も含め周りの人が一斉に「そうそう、気になっていました。」みたいなことを言っていましたよね。

みんなが気づいてるのに、なぜか誰も指摘をしないのか。
それは、みんながみんなに合わせているからです。
みんなと違うことをすることが嫌い、
目立ちたがりだと思われたくない、
いつも発言してくれるあいつが言ってくれるだろう、と考えてしまうのです。

きちんと間違いを指摘してくれる人ほど、先生も含め周りからいつのまにか信頼されます。
したがって、間違いに気づいても、「他人の目」を気にして何も発言しないことは、非常にもったいないことなんです。

 

 

「他人の目」を気にしない人が、人生を楽しめる

 アルフレッド・アドラーは、「人間の悩みはすべて対人関係の悩みである」と述べていて、幸せに生きるには、他人から良く思われようとすることをやめる、つまり「承認欲求」を捨てるべきだと言い切っています。
逆に言えば、「他人の目」さえ気にしなければ、悩み事もなくなりますし、幸福度も上がるのです。

みなさん、自分の悩みを一つ考えてください。
その悩みを「なぜ悩んでいるのか」と深堀りしてみてください。
すると、だいたい結局は「他人の目」に行きつくと思います。

僕はとても音痴です。
学校の合唱の練習で、音が外れすぎて、口をふさがれたこともありました。
そのため、一時期は、なんでこんなに音痴なのだろう、どうしたらみんなと同じように曲に合わせて歌えるのだろうか、ととても悩んだことがありました。

しかし、よくよく考えれば、音痴を改善したところで、他人からの評価しか上がりません。
将来の夢が歌手になることとかではない限り、音痴を治すことで生じるメリットはそんなにありません。
それならば、音痴を治すための練習に時間を割くことよりも、自分のもっと好きなこと、ワクワクできること、本当に自分にとってプラスとなることに時間を使ったほうが、人生が楽しくなります。

そうして自分は音痴であるという悩みは自然と消えました。

 

 

成功者の自動車適性検査の結果は悪い

 僕は最近、自動車学校を卒業しました。
自動車適性検査についての学科の授業を受けていた時、教官のある話が印象に残りました。
起業して、会社を一流企業まで育てる成功者は、自動車適性検査のうち、協調性の結果が著しく悪い傾向があるみたいです。
協調性の悪い傾向のある人間が、なぜ大きな会社を経営できるのか?
その教官は、一流の成功者は人の話を聞かないから、自分が正しいを思うことをひたすら行動に移し、その結果一流企業を育てているのではないかと予想しました。

僕も、その通りだと思います。
人がなにか大きな行動を起こそうとするとき、それを止めようとする人は必ず出てきます。
「君には無理だろ」「そんなことをするのは危険すぎる」「厳しい世界だよ」「現実を見ろ」「意識高い系は調子乗るな」「マジうけるワロタ」
などとと言ってくる人は絶対に出てきます。
しかし、その人たちの話を聞いて、それでも納得がいかない場合は、必ず自分の心の声に耳を傾けて、自分のやりたいこと、正しいと思うことをやりましょう。
前述のようなことを言う人たちに限って、成功したら「あなたを信じてたで」と言い寄ってきますから、注意してください。
禄でない人の話に耳を傾け、その人たちが言う通りに人生を歩んでも、何も人生は楽しくありません。
人の話を聞かない傾向にある人が、意外と成功していたりするのも、六でない人の話に耳を傾けないからだと思います。
自分の人生は自分で決めることができるわけですから、自分が正しいと思うことをひたすらやり続けたほうが、後悔しないし、成功する条件にもなりえますし、何よりも人生を楽しめるでしょう。

 

 

「自分は変人」と思い込めば、他人の目は気にしなくなる

 しかし、「他人の目」を気にするなと言われても、長年の癖はなかなか簡単には治りません。
いくら「気にするな、気にするな」と自分に話しかけても、無意識に「他人の目」を気にしてしまうことはあると思います。

そこでおススメの方法が、「自分は変人」と思い込むことです。
よく考えてみてください。
例えば学校のクラスで目立ったり活躍していた人は、変わった人が多かったと思います。

また、世の中でイノベーションを起こしてきた人たちにも、かなり変人は多くいます。
例えば、トーマス・エジソンは、小学校を中退しましたし、スティーブ・ジョブズは、大学の中を裸足で歩いていたといわれています。

彼らが活躍できたのもまさに、「他人の目」を気にしなかったからだと思います。
他人がどう思うかよりも、自分がどう思うかを重視していたのです。

それに加えて、変わった人が目立つようなことをしても、許す風潮もあると思います。
自分を「普通の人間」と考える人は、目立つようなことをしようとするときに、潜在意識下で自分を許すことがなかなかできないことも、行動できない要因になってしまってることも考えられます。
そこで「自分は変人」と思い込むことで、逆にある一種の行動するための一押しになると思います。

 

 

目立つようになれば、アンチは出てくるが…

 目立つようになれば、必ずアンチがわいてきます。
しかし、アンチがわくことも、ある意味成功に近づくための必須条件と言えます。
どの成功者にもアンチはいますから、アンチがわくことを恐れることはありません。

そもそも、なぜアンチがわいてくるのかを考えなければなりません。
実のところ、アンチになる人は、アンチになりたいがためにアラ捜しをし、欠点だけを見つけ、そこをひたすら叩く人が圧倒的に多いと思います。

例として、僕のブログを上げましょう。
もしこのブログにアンチがわいたとしたら、その人たちはそもそも僕のブログを中立的に読みません。
アンチになりたいがために、ブログの欠点だけを見つけ、そこをひたすら叩くと思います。
人は誰しも長所と短所を持っていますから、人が作るコンテンツにも、製品・サービスにも、どれにもそれぞれ長所と短所があります。
アンチは、いわばクレーマーと同じようなものです。
クレーマーがあらゆる製品・サービスの長所には目をつぶり、短所だけ見つけまくって、数時間のクレーム電話をするのと同じように、アンチもあらゆる人物やコンテンツの短所・欠点のみを見つけ、それを攻撃してくる人たちなのです。

そいう人たちのことを気にして、欠点・短所を治したところで、結局彼らはまた新たな欠点・短所を見つけますから、いたちごっこになってしまい、自分は成長できません。

それでしたら、自分の長所をさらに伸ばすための努力に時間を割いたほうが、何百倍も有意義になりますので、アンチは無視してどんどん行動しましょう。

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他人の目を気にせずに、後悔のない人生を送りましょう!

 もう一度言いますが、自分の人生の主役は自分だけです。
他人ではありません。
自分の人生を他人の目を気にせずに楽しめるための一つのツールとして、「自分を変人だと思い込む」を活用しましょう。

 

本日も読んでくださいましてありがとうございました!