歴史に残れ!我が思索記

適当に考えたことを適当に書き残していきたいと思います。

人工知能の導入で、大リストラ時代はすぐそこー「ベーシックインカム」の導入は絶対に必要

皆さん、こんにちは!

本日も読んでくださいましてありがとうございます!

まず、人工知能の導入などによる業務効率化で、大リストラ時代がやってくるのはすぐそこにある、ということを感じさせられる去年のニュース記事のリンクを載せておきます。

www.businessinsider.jp

ドイツ銀行は1万8000人の行員削減を予定しており、実に全行員の5人に1人を削減するつもりです。

ドイツ銀行だけでなく、日本の企業でも、いつこのような動きが始まってもおかしくありません。

将来は、多くの仕事が人工知能に置き換えられると聞いたことがある方は多いと思います。
そこで、どういった職業が人工知能に置き換えられるか、自分の職業は人工知能に置き変わらないか、どんなスキルをつけたら人工知能に負けないのか
を、僕なりに考えてみました。

 

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電卓もある意味人工知能である

 たくさんのニュースを読んできました

僕は、長い間どんな仕事が人工知能に置き換わるかについての本や記事を読んだり、インターネットで調べたり、自分なりに考えていきました。

そして、この長年インプットしてきた知識を書いたのが、こちらの記事になります。

おそらくこちらの記事を読めば、どのような職種の仕事が置き換わり、どいう仕事が置き変わらないか、ある程度知ることができます。
世の中の仕事1つ1つを細かく分析することはできませんが、ある程度まとめて考えることはできます。

また、この記事を読めば、人工知能がもたらす社会の変化も知ることもできます。
人工知能が多くの職業を置き換えたら、それはかなり社会に与えるインパクトが大きく、今の私たちの社会に対する常識が一気に変わる可能性もあります。

さらに、僕は人工知能に負けないようなスキルを身につける方法も考えました。
人工知能に置き換わらない職業をあらかじめ知ることができたら、おのずとどいうスキルが人工知能時代に必要とされるかもわかります。
こらからの時代に必要とされるスキルは、人工知能ができないようなものが求められることでしょう。

 

 

まずは数字を判断する職業が置き換わる

 人工知能は、もともとコンピューターです。
コンピューターは、計算が非常に得意で、人間なら一日ぐらいかかる計算を秒単位で済ますことができます。
そして、コンピューターをもとにして人工知能が開発されるわけですから、人工知能が物事を考えるときは、それはすべて数字がベースとなるのです。
逆に言えば、現在の数字を扱うことをベースとした職業が一番最初に置き換わることが想定されています。

多くの人は、コンビニやスーパーなどのレジ係が一番最初に人工知能に置き換わると考えていると思いますが、逆なのです。

単価が高い仕事、言い換えれば、高い付加価値を生み出す仕事が、一番最初に置き換わっていくのです。
なぜかというと、人工知能の開発会社はもうかり、導入側の会社は大幅に人件費を節約できるようになるからです。
そして、数字を扱うような仕事、例えば会計、税理、経理、データ分析などのような職業は、人工知能がメインに担うようになるでしょう。
しかし、公認会計士やデータサイエンティストの職業はなくなるわけではありませんが、人工知能の補佐的な役割となり、働き口は大いに減るだろうと思います。

コンサルタントの職業も、数字を判断する場面はすべて人工知能がすることになるでしょう。
例として、今は若手社員がデータなどの資料をたくさん集めて、そのデータをもとにして上司が判断をするという形式が多いと思います。
そいう上司の仕事も、これから人工知能がやることになります。
そしてこれまでの上司もまた、人工知能のアシスタント的な地位に落ち着きます。
しかし、アシスタント的な地位に落ち着いたからと言って、安泰というわけではありません。
難しい仕事はすべて人工知能にやらせるわけですから、アシスタントの数はそこまで必要とされなくなるでしょう。
つまり、管理職が大幅に削減されることになります。

こうして、まずは数字を判断する、高い付加価値を生み出す仕事が、一番最初に人工知能に置き換わります。

 

 

次は、決まった繰り返しパターンが多い職業

 人工知能の開発においてかなり重要視されているのは、間違いを学習させる能力をどのようにつけさせるか、ということです。

開発の段階では、人工知能は様々な間違いをします。
その間違いを技術者などが教えることで、人工知能は自ら学習します。

例として、僕は写真をグーグル・フォトに保存しています。
グーグルフォトの便利な機能の一つに、写真を顔別に振り分けてくれることです。
そこで、よく「この写真はこの方でお間違いないですか?」と、写真を提示してくれます。
顔が合っていたら〇で、間違えていたら✖を押せばいいだけです。
そうして、人工知能は学習し、より精度を上げていくのです。

この学習過程を得て、人工知能は繰り返しパターンが多い仕事をできるようになります。

繰り返しパターンが多い職業の代表的なものに、電車の車掌・運転士、レジ係、そして大企業の社員があります。

特に大企業に関しては、(全部がそうではないとおもいますが)業務がそれぞれの社員に細かく分けられていて、ずっと同じ仕事の繰り返しという場合が多いと思います。
まさにそいう仕事が、人工知能によって置き換えられやすいです。

 

 

「正解を求められる仕事」が危ない

 上の二つの職業に共通することは何でしょうか?

それは、どちらとも正解を求めなければならない仕事であることです。
計算が人間の何千倍もの得意な人工知能は、複雑な計算過程を駆使して、正解を導き出します。

そう考えると、実は会社のマネジメントも人工知能に代替され、多くの管理職が人工知能のアシスタントとなってしまう可能性もあります。
すると、先述のコンサルティング業界と同じように、管理職の数が減りまず。
体力のある若い社員は人工知能の言われたがままに働くことができる一方、人工知能のアシスタントになれなかった中高年社員はリストラされてしまうことにつながります。

やがて、特に大企業なんかは、ほとんどの業務もマネジメントも人工知能に任せることになるでしょう。

 

 

イクラスといわれる職業が代替され、社会構造がガラッと変わる

その他の給与の高い仕事も、狙われます。
先ほど言ったとおり、高い付加価値を生み出す職業を代替できる人工知能が開発されれば、開発元の会社は儲かりますし、また導入する企業も大幅なコストカットを実現できます。

そうしますと、社会構造がかなりガラッと変わらざるを得ません。
これまで一流と呼ばれていたような職業や、かなり勉強して資格をとってやっと仕事ができるような職業に従事する人の多くが無職になってしまう未来もあり得ます。

では、どいう仕事が置き換わらなかったり、人工知能時代においてどういったスキルが求められるのでしょうか?

 

 

逆に置き変わらない仕事やスキル

まず第一に、高い付加価値を生み出す職業で人工知能に置き変わらない仕事やスキルを考えます。
人工知能は計算機なので、計算機ができないようなことを考えればわかるかと思います。

それは人を楽しませたり、感動を与えたりするようなことです。
つまり、人の心に訴えかけるような職業が、一番安泰かと思います。
具体的な例を述べますと、芸人などのエンターテイナー、デザイナー、クリエイター、作家ですね。

また、正解を見つけることよりも、むしろ自分の頭で考えて新たな問題を見つけることができるスキルも必要とされます。
社会の課題を見つけて、問題提起をするジャーナリストや、それを解決するために起業しようとする志の高い人も、人工知能時代に生き残るでしょう。

そして、これまでのハイクラス職がこなしていたような職業が、人工知能に置き換えられたら、今度は逆に上記の、人の心を楽しませたり、あらゆる問題を発見したり、解決しようとするような仕事が、一番付加価値を生み出す職業になるかもしれません。

 

次に、細かい手や指の動きが求められる仕事です。
例えば、工事現場ですと、ロボットはこれからたくさん導入されると思いますが、指を使う仕事をさせるのは難しいので、それでも働くのは人が中心となるでしょう。
(しかし、頭脳を使う現場監督は人工知能のアシスタントになり、働き口は減る)

また、コンビニやスーパーのレジは自動化され、働き口は減りますが、陳列は店員がやり続けます。
スーパーやコンビニは次々と新商品が入り、陳列されている商品も連日場所を変えます。
また、店舗の大きさもほぼすべての店が違いますから、ロボットや人工知能を開発しようと思ったらかなり複雑なプログラムを組む必要があり、莫大な開発費がかかります。
一方で陳列するだけの仕事が生み出す付加価値は低いので、費用を回収するのも難しいです。
そのため、スーパーやコンビニの陳列は店員がやり続けると思います。

 

 

なんとしても、ベーシックインカムの導入が必要

しかし、それでも多くの人が将来失業することに変わりはありません。
そこで絶対に必要なのが、ベーシックインカムです。

もし多くの国民が、人工知能時代に失業してしまったら、その最低限の生活を保障する必要があります。

今の生活保護に近い形です。
しかし、今の生活保護の問題があります。
それは、「生活保護受給者は恥ずかしい」という認識があることです。
これはおそらく、自分が頑張って働いて収めた税金で生活保護受給者が生活していることを、良く思わない人が一定数いるからでしょう。

そこで、全ての国民に、月々一定額の、最低限の生活が保障される基礎所得、つまり「ベーシックインカム」を与えれば、この心理的な問題は解決できます。
財源は、「人工知能税」のような、人工知能をたくさん導入している企業や開発する企業から税金を納めてもらうような新しい税制度を作れば、十分賄えると思います。
働きたい人は働いたら良いし、働きたくない人は働かなければ良いし、なにか新しいことにチャレンジしたい人はたくさんチャレンジすればいいのです。

しかし、本当に政府が企業から多くの税金を徴収し、その財源でベーシックインカムが導入されるかは、政府がどれぐらい国民を重要視するかにかかっています。

 

ytorotoro.hatenablog.com

 今のような投票率ですと、政府は企業の利益を重視し、国民を生かさず殺さずの状態に持って行ってしまう可能性もあります。

しっかり投票に行って、民衆は困っていることをアピールしないと、これから国民の生活はますます厳しくなるでしょう。

 

本日も読んでくださいましてありがとうございました。

これからもますます貧富の差は広がるだろう

 みなさんこんにちは!

日本で貧富の差が社会問題になってきて久しいですが、今回は貧富の差がこれからも拡大するのかを思索していきたいと思います。

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裕福になるのは一部の人間だけだろう

 なぜ貧富の差が拡大するのか

 日本は70年代、80年代は競争よりも平等を重んじる国で、一時期「日本型社会主義」なんて呼ばれていた時代もありました。
今の日本ではもうその時代は終わり、個人や企業間で競争がますます激しくなるばかりで、相対的貧困率も上昇傾向にあります。

 

また、これからの時代、貧富の差はますます広がり、社会は二極化すると聞いた方も多いと思います。
二極化すると聞くと、結構怖いですよね。
自分が裕福な方に行くことができればいいのですが、それは一切保証されてませんからね。

中には、日本も北欧型の高負担高福祉の社会システムを作ればいいのではないかとお考えの方もいらっしゃると思います。

僕も、今の世界では北欧型が一番理想的な社会システムだと思っています。
参考として、幸福度ランキングの記事を載せておきます。

「世界幸福度ランキング」2019年版が発表。日本の順位はどうなった? | ハフポスト

しかし、やはり北欧型に社会システムを作りかえるのは、そう簡単ではありません。

 

 

格差はこれからも広がり続ける理由

日本の格差が広がり始まった最大の要因は、90年代から日本が新自由主義の潮流に乗り、またそれと同時にインターネットがグローバル化をもたらしたことです。

これらの一連の出来事については下の記事にまとめています。

ytorotoro.hatenablog.com

 

格差拡大を抑えるのに一番有効な政策手段は、累進度の高い税率を設定して、所得の再分配を行うことです。
しかし、企業がグローバルに戦う力を身につけなければならない中、昔のような累進度の高い税は設定できません。
たとえば法人税の累進度を高く設定すると、企業の成長インセンティブが失われます。
所得税も然りで、累進度が高くなると、個人の成長インセンティブを喪失させてしまいます。
国がグローバルに競争しなければならなくなったので、成長インセンティブを阻害するようなことはできないのです。
また、主要財源を所得税法人税にしていると、不景気時に財政が悪化しますので、現在は消費税を主要財源にシフトさせています。

貧富の差が拡大して、社会階層が二極化する最大の理由は、AI技術とロボティクス技術の発達です。
AIができないような、高い付加価値を生み出せる仕事ができる人と、最低賃金レベルでしか働けない人、あるいはそもそも働き口がない人とに分かれることです。

もし仮にそいう社会になった場合、後者の方の人たちはみんなギリギリな生活しかできません。
高負担高福祉型の社会保障システムを作るのが難しいのであれば、せめて最下層に落ちぶれても、ちゃんと生きていけるような社会システムを作るほうが先です。

これらについては、下の方でさらに解説を加えます。

 

 

経済において、安定性と競争性はトレードオフの関係にある

 トレードオフというのは、両方を最大限に取ることはできないということです。
一応マクロ経済学の理論では、完全競争市場になったときが一番効率がよく、また公平性も高いのですが、この完全競争市場と現実の市場にはかなり差がありますから、なかなか完全競争市場を実現させるのは難しいです。

安定性を求めてれば求めるほど、安定性が失われ、安定性を求めれば求めるほど、競争性が失われ、技術革新や経済成長が遅れるというのが、今の経済なのです。

新自由主義グローバル化が世界の潮流となってから、アジア通貨危機リーマンショックと、10年ごとに金融危機が起きているのも、まさに安定性よりも競争性が重視されるようになったからです。

 

 

日本だけ格差を縮める政策をとれば、世界に置いて行かれる

 しかし、今現在日本が舵を取り直して、安定性を重視するようにしたらどうなるのでしょうか?
おそらく一時的には貧富の格差は縮まるでしょう。
しかし、そうあうると、日本企業の成長速度が、競争が自由な国の企業の成長速度より遅くなることは容易に想像できます。
国境を越えた戦いが強いられる今の世の中ですと、成長速度が遅い企業は自然淘汰されます。
やがて、最終的に日本は発展途上国に逆戻りし、常に外国企業から搾取され続ける未来がやってくるかもしれません。

そのため、競争性より安定性を重視する政策はなかなかとりにくいです。

 

 

人工知能により、中流階級が消滅

 人工知能が発達することによって残る主な仕事は、デザイン職と、手指をを使う労働くらいでしょう。
実は手指を使うのは、なかなかロボットでは再現できないらしいです。
そのため、一番最後にロボットや人工知能に置き換わる仕事は何かといわれたら、手指を使う職業と言われています。
もちろん、それ以外の職業も残ると思いますが、働き口が少なくなることは必至です。

逆に人工知能が一番得意とする職業は、数字を見て判断する職業です。
たとえば、コンサルティング業界を例に挙げます。
コンサルティング業界では、部下があらゆるデータや資料を集め、上司がそれを判断します。
人工知能が導入されたら、上司が人工知能に置き換わってしまいます。
データや資料を集めるだけの、付加価値が低い仕事は人間が引き続きやるだろうと思いますから、逆に言えば入社しても昇進できず、ずっと人工知能のいいなりになったまま働かなければならない可能性もあります。

ここで問題となってくるのは、付加価値が低い仕事しかほとんど残らないことです。
付加価値が低いということは、つまり誰でもできるということです。
誰でもできる仕事の給料は必然的に低くなります。
さらに求職者が多くなると、自分の変わりはいくらでもいるという状態になり、さらに給料が下がります。

やがて、残る職業のほとんどは最低賃金の仕事だけになると思います。

 

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最下層に落ちぶれても、ちゃんと生きていけるような社会システムが望まれる

 結局、人工知能時代における一番幸福な生き方は、自分の好きなことにチャレンジして、生きていくことです。
しかし、チャレンジするためにも、お金が必要であることに変わりはありません。
そのためには、最下層に落ちぶれても、生活が保障される仕組みが必要です。
今の日本では、多くの人が何かにチャレンジしたくても、失敗して最下層に落ちぶれることを恐れてなかなか行動に移せない人が多いと思います。
そのため、チャレンジしやすい社会や環境を作ることが必要不可欠なのです。

おそらく一番効果のあるものはベーシックインカムでしょう。
財源は、人工知能の活用によって莫大な利益を上げている会社から取ればいいのです。

ここで一番大切なことは、民衆が困っていることを政府に伝え続けることであり、伝え続ける唯一の手段は選挙なのです。

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 日本国民がこのまま投票率が50%のままだと、どれだけ失業者が増えてもおそらく政府に見殺しにされます。
きちんと選挙に行けば、よりよい国になるはずです。

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これからも頑張っていきましょう。

 本日も読んでくださいましてありがとうございました。

この30年間で日本の経済的格差が拡大してきた、絶対に知っておくべき理由

 みなさん、こんにちは!

本日も読んでくださいましてありがとうございます!

今回は、年々社会問題になってきている日本の経済的格差について、思索していきたいと思います。

 

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世界の変化は日に日に早まっている

かつては「平等」を重んじていた日本

 かつて、ソビエト連邦ゴルバチョフ書記長は、日本を「世界で最も成功した社会主義国」と言ったことがあります。
冷戦下において、共産主義陣営の盟主であったソ連のリーダーが、自由主義市場経済の日本を、成功した社会主義国と呼んだことは、とても驚くべき出来事です。

たしかに当時は、所得税の累進度が今よりも大きかったので、今に比べては所得の再分配がなされていました。
また、「護送船団方式」というのがありました。
これは、例えば金融業界ですと、政府(大蔵省)が金融業界の各企業をまとめ、そして一番体力の弱い企業に合わせて商売をさせていくというものでした。
この「護送船団方式」は、当時の日本市場が、競争よりも平等を重んじていたことの象徴です。

しかし、バブル崩壊後の30年間において、所得税の累進度は下がりましたし、また「護送船団方式」のような、競争より平等を重んじる仕組みもすっかりなくなりました。その結果、現在の日本はますます経済的格差が広がっています。

なぜ、平等を重んじるシステムは廃れ、格差がどんどん広まっているのか?
それは、日本単独の問題ではなく、実は世界的なトレンドなのです。

 

 

西側主要先進国の間で、格差が広まってきている

 この格差拡大は日本の問題だけではありません。

西側主要先進国とは、アメリカ、日本、ドイツ、イギリス、フランス、イタリアのことです。

これらの先進国は、第二次世界大戦後から冷戦が終わるまで、東側のソ連を盟主とする社会主義陣営と対立し、西側のアメリカを盟主とする自由主義陣営の中心メンバー国でありました。

これらの国はどれも、かつては経済が分厚い中間層に支えられ、また社会主義国にも負けないような大規模な社会保障システムを強いている国もありました。

そして、現在の上記6ヶ国においては、中間層の縮小と経済格差の拡大が問題になっています。

西側主要先進国において経済格差が広がっている原因は、冷戦終結後にグローバル化新自由主義が同時に広まったことです。

 

 

新自由主義とは

 冷戦終結前後には、多くの先進国で財政赤字が問題になっていました。
累進度の強い所得税法人税を財源にしていた国が多かったので、不景気になった場合は税収が大きく下がります。
しかし、社会保障への政府支出はそう簡単に削れませんので、赤字国債を発行するしかないという国が増えました。
また、経営状況が悪く、常に赤字たれっぱなしの国営企業が増えてきたことも一因でした。(日本の日本国有鉄道など)

この財政赤字の拡大に対処するべく、新自由主義という、新しい政府の在り方が出てきました。
新自由主義の目的は、従来の平等を重んじる規制を撤廃して、企業間の競争を促すことで技術革新を早めさせることとともに、国営企業を民営化させ、社会保障システムにおける国民の自己負担割合を引き上げること等によって、財政赤字を縮小させることです。

この新自由主義は、多くの先進国で取り入られました。
日本での一番わかりやすい例としては、国鉄民営化、郵政民営化が挙げられます。
外国ですと、イギリスのサッチャー政権が、かつて「ゆりかごから墓場まで」というスローガンが謳われていた大規模な社会福祉システムを改革し、また多くの規制を撤廃したことによって、イギリス経済が好転しました。
これをきっかけに、ロンドン株式市場が世界に名だたる株式市場になりました。

 

 

グローバル化の影響

 グローバル化はみなさんのご存知の言葉ですが、その意味をもう一度確認すると、「社会的・経済的に国を越えて世界規模でその結びつきが深まること」です。

まあ、一言で言えば、世界が狭くなることですね。

このグローバル化をもたらしたのは、なんといっても情報通信技術の大進化、すなわちインターネットの登場です。

 

ytorotoro.hatenablog.com



このグローバル化と、格差の拡大に、どんな関係があるのでしょうか?

実はグローバル化によって世界がつながった分、世界中の企業にとっての競争の場が、それぞれの国から世界になったのです。
規制が緩い国にある企業のほうが成長速度が速く、逆に競争より平等を重んじる国にある企業は成長速度が遅くなるのは明確です。
また、成長が遅い企業は成長が速い企業に淘汰されます。
そして、多くの国は自分たちの企業が淘汰されないよう、自然と規制などを緩め、競争が促されるようになりました。

 

 

新自由主義グローバル化が同時に起きた結果、先進国の経済格差が拡大

 この新自由主義グローバル化が同時に起きた結果、先進国の経済格差が広まりました。
競争性が追及された分、テクノロジーが発達し、確かに生活が便利になった部分もあります。
また、地球規模で見た場合、グローバル化のおかげで発展途上国に住んでいる人々もインターネットを使って先進国の人々と同じ土俵で戦えるようになりました。

しかし、先進国に住んでいる人からしたら、将来に対する不安が年々大きくなっているかと思います。

所得の再分配を強く推進する政策も、取っていくことができます。
しかしそうすると、日本企業がますます世界から置いていかれることも予測されます。
やがて日本企業が世界から淘汰され、日本国民がみんな外国の企業に搾取されていく可能性があります。
また、鎖国政策をとればいいと考える人もいるかもしれませんが、そうすると今度は日本はジリ貧状態となり、かつての社会主義国が歩んだ道と似たような道を進むかもしれません。

ここでの折り合いをどうするかは、政治家にとってかなり責任を伴う決断になります。
しかし私たちができることにおいて一番大事なことは、しっかり投票に行って、政治家に民意を伝えることです。

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また、これからは中間層はますます減少し、社会は裕福な人と、そうでない人へ二極化していくとも言われています。
そうすると、これまでスタンダードだと言われてきた人生を過ごすことが難しくなります。

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グローバル化が進展し、経済格差が広まった世の中で、新たな生き方を見つけていくことが必要とされています。
経済格差が広まって、富がますます裕福な人にあつまっていく時代を、読者のみなさんはどう生きていきたいのですか?

 

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本日も読んでくださいましてありがとうございました。

なぜ短所は無視して、長所を集中的に伸ばすべきか

 みなさんこんにちは!
本日も読んでくださいましてありがとうございます!

みなさん、大学入試の受験は経験したことありますか?
学校の定期テストでも同じですが、苦手な科目を克服して点数を稼ぐという戦略が一般的なものであると思います。

しかし、学校を卒業して、社会人になったとき、それ以降の人生戦略でも、自分の短所を常に治していくという戦略で過ごすのは、果たして良いのでしょうか?

今回は、それを思索していきたいと思います。

 

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勉強ができるからといって、仕事ができるとは限らない理由かもしれない

受験は、苦手な科目を克服したほうが点数が伸びやすい

 受験や定期テストでは、先ほども書きましたが、もともと得意な科目をさらに伸ばすようにするよりも、苦手であまり良い点数をとれない科目を勉強したほうが、全体の点数が上がって有利だと聞いたことがあると思います。

もともと70点以上取れる科目を、80点、90点に伸ばす努力より、40点しか取れない科目を70点取れるように勉強する努力のほうが、労力が少なく、また増える点数も多いからに他なりません。

実際、センター試験においては、基本的なことをしっかりと網羅すれば、ほとんどの科目は70点台に届きます。
逆にいくら得意な科目であったとしても、応用問題や難問の覚え方をマスターするには時間と気力を要しますので、苦手な科目の基礎を覚えたほうが楽なのです。

したがって、テスト勉強や受験勉強にあたって、多くの方は得意な所より苦手な所の方に注力して勉強してきたと思います。

 

 

試験戦略と同じように生きている人が多い

 しかし、試験戦略のように、人生でも自分の得意なことを伸ばすより、自分の苦手なことを克服していくスタイルで生きている人が多い気がします。

ある人が悩みやコンプレックスを持っているとき、それもほとんどは自分の短所を気にしているはずです。
世の中の人は、自分の悩みやコンプレックスを改善したり、他人に見られないように取り繕ったりすることが多いです。

他人から褒められて、気分が上がる幅より、他人に悪口を言われて、気分が下がる幅のほうが大きいです。
それはつまり、定期テストや模試で点数が悪かった教科を、もっと高い点数が取れるようにしっかり勉強することと同じことです。

 

 

社会やビジネスにおいて、ゼロ点はあるが、満点はない

しかし、ぜひ覚えていただきたいことが、試験は100点満点です
100点満点だったからこそ、もともと70点をとれるものを伸ばしても意味がなかったのです。
それに対して、実際の社会、及びビジネスの世界には、何らかのスキルに対して満点という概念がありません。
つまり、自分の得意なことを際限なく伸ばすことができるのです。

社会や仕事において、もともと得意でないことを人並みレベルで出来るようになるには、かなり努力を要します。
一方で、自分がもともとできること、得意なことを伸ばすにはそこまで労力は要しないはずですし、かなり努力をすれば周りの誰にも負けないようなスキルを身に着けることもできるでしょう。

そう考えると、社会や仕事において、自分の向いていないこと、できないこと、不得意なことを、克服するべく努力することに時間をかけることよりも、自分がもともとできること、得意なことを一所懸命に、誰にも負けないレベルまで伸ばしたほうが、能率がいいわけです。

 

 

一流経営者やアーティストに、癖が強い人が多い理由

 得意なことだけ一所懸命に頑張った人たちの例に、一流経営者やアーティストが挙げられます。
その方たちは自分の得意なことだけを追求した結果、自分の不得意なことや短所は一切気にしない人が多い気がします。

中には、人に対してカッとなりやすかったり、掃除できなかったり、ヘビースモーカーだったり、酒癖が悪い人などがいるでしょう。
そいう彼ら・彼女らの短所に対して、あまりいい気がしないから、彼ら・彼女らを嫌いになってしまう人たちは一定数います。

だが、彼ら・彼女らも当然自分の短所には気づいているはずです。
いい年をした大人なら、自分の悪い所に気づけないはずがありません。
しかし、一流の方たちはそれを治しません。
それを治すことに時間をかけるより、自分が活躍している分野でのスキルを磨いたほうがはるかにリターンが大きいと、その方々は考えるからです。

なお、これらの人たちの生き方は、少々極端ではありますが、大いに参考にはなると思います。

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短所だけを治す努力ばかりすると、無難な人間になってしまうだけ

 一方、先述の人たちとは真逆で、もし受験戦略と同じように、不得意なこと、できないことだけを克服できるように努力したらどうなるのでしょうか?
ただの無難な人間になってしまいます。
欠点はないが、特にこれといった長所もない人間になります。

上司が無難な人間に仕事を任せるとき、その仕事を任せたらいいのか、迷うはずです。
それは、無難な人間はいろんな仕事をできますが、どの仕事も人並みレベルでしかできないからです。
従って、昇進につながるような重要なプロジェクトは逆に任されにくくなるかもしれません。

そもそも、時間は有限でありますから、自分のできないことをできるように努力するための時間と、自分の得意なことを誰よりもできるように努力するための時間は、トレードオフの関係にあります。

バランスよく時間を使い分けるのもいいかもしれませんが、そう簡単にはできないのが実情でしょう。

 

ytorotoro.hatenablog.com

 

 

比較優位の原則によると、各々の得意なことだけに集中したほうが、みんなが幸福になる

 経済学に比較優位の原則というものがあります。
この理論は、もともと国際貿易の研究において使われていました。

例として、日本と中国しかいない世界を仮定します。
また、この世界では自動車とパンしか作られないことも仮定します。
このとき、自動車もパンもどっちも日本の方が生産性が高いものとします。

その前提だけでは、日本だけ自動車とパンを作ればいいじゃないかと聞こえてきそうですが、まだ仮定は続きます。

日本国内だけを見たとき、自動車のほうが生産性が高く、中国国内だけではパンのほうが生産性が高いとします。

つまり、まとめると、
国で比べたとき、日本の方が中国よりも自動車もパンも作るのが得意です。
しかし、国内のみで見た場合、日本はパンよりも自動車を作るほうが得意で、中国は自動車よりもパンを作るほうが得意です。

以上のことを分析すると、日本は自動車の生産に特化して、中国はパンの生産に特化したほうが、お互いの国にとって一番利益が高い状態であると結論付けられます。
比較優位の原則について興味のある方は、ググってください。

以上の比較優位の原則は、モノの生産だけでなく、人間の各々の仕事にも当てはまりますし、実際のところ近年この比較優位の原則は貿易だけでなく、様々な経済活動の研究にも用いられています。

特に現在は、企業でも個人でもアウトソーシング、いわゆる「外注化」も進んでいます。
例えば企業レベルでいいますと、あるメーカー企業が自身のITサービスを維持・発展させるためにわざわざ新しく人員を雇って教育することよりも、そいう情報系の仕事が得意な企業に委託させて、自分の会社はもともとの本業の製品開発等に集中したほうが、お互いに利益をもたらします。

また、個人レベルでも、水回りやエアコンの掃除を業者に任せている人も増えてきています。
ネットビジネスなんかをやっていて、仕事とプライベートの仕切りがないという人にとっては、そいう時間も労力もかかる家事を他人に委託して、その空いた時間と労力を自分のビジネスに割いたほうがはるかに能率が良いです。

従って、企業レベルでも個人レベルでも、各々がそれぞれの得意なことに特化したほうが、最終的には全員の利益が増えるのです。

 

 

自分の短所ばかり気にせず、得意なことを見つけて、頑張ろう!

 先ほど、得意なことに特化すると述べましたが、どれだけ特化するべきかは自分の心の中で決めましょう。
どれだけ得意なことでも、ずっと同じことをすると気が病むと思いますから、ほどほどに別のことをやったり新しいことにチャレンジしてみるのもいいかもしれません。

また、短所は気にしないほうがいいようなことも書きましたが、社会人としての最低限のマナーはもちろん身に着けたほうがいいですし、それに加えて仕事に悪影響を著しく与えてしまうような欠点があれば、それももちろん改善しなければなりません。

しかし、いずれも「完璧に」治さないといけないわけではないと思います。
自分の仕事や自分自身の人格の評判に対する、それらの欠点が与える影響が、だいぶ減ったなってくらいでちょうど良いと思います。

あとの時間は、自分の好きなこと、できること、やってて苦にならないこと、得意なこと、生産性が高いことにいっぱい使って、長所を誰にも負けないところまで伸ばすようにしましょう!

 

本日も読んでくださいましてありがとうございました。

他人の目を気にしすぎる人は、自分を「変人」と思い込むべきだ

みなさんこんにちは!

本日も読んでくださいましてありがとうございます!

みなさんは「他人の目」を気にしたことありますか?
「他人からどう見られているか、どう思われているか」を気にしてしまって、自分の思う通りに何かをできなかった方は多いと思います。

今回は、「他人の目」を気にするよりも、自分の正しい、興味のあることをやった方が生きやすいこと、そして「他人の目」の思い込みをどう排除すればいいかを思索していきたいと思います。

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他人の目を気にしますか?

なぜ「他人の目」を気にしてしまうのか

 多くの人は、自分のやりたいこと、発言したいことがあっても、他人の目を気にして行動に移せません。
なぜでしょうか?
それは自分のことを「普通の人間」と考えているからに違いないでしょう。
「普通の人間」と考えてしまったら、あまり目立ったことはするべきでなく、周りの人間と合わせなければならないという思い込みができてしまうのです。

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例として、学校の授業中に先生の板書が間違えていて、指摘したくなっても、みんなが黙っているから、自分も何も言わないでおこうとなった経験をしたことがある人は多いと思います。
そして、誰かが自分の言いたいことを指摘したら、自分も含め周りの人が一斉に「そうそう、気になっていました。」みたいなことを言っていましたよね。

みんなが気づいてるのに、なぜか誰も指摘をしないのか。
それは、みんながみんなに合わせているからです。
みんなと違うことをすることが嫌い、
目立ちたがりだと思われたくない、
いつも発言してくれるあいつが言ってくれるだろう、と考えてしまうのです。

きちんと間違いを指摘してくれる人ほど、先生も含め周りからいつのまにか信頼されます。
したがって、間違いに気づいても、「他人の目」を気にして何も発言しないことは、非常にもったいないことなんです。

 

 

「他人の目」を気にしない人が、人生を楽しめる

 アルフレッド・アドラーは、「人間の悩みはすべて対人関係の悩みである」と述べていて、幸せに生きるには、他人から良く思われようとすることをやめる、つまり「承認欲求」を捨てるべきだと言い切っています。
逆に言えば、「他人の目」さえ気にしなければ、悩み事もなくなりますし、幸福度も上がるのです。

みなさん、自分の悩みを一つ考えてください。
その悩みを「なぜ悩んでいるのか」と深堀りしてみてください。
すると、だいたい結局は「他人の目」に行きつくと思います。

僕はとても音痴です。
学校の合唱の練習で、音が外れすぎて、口をふさがれたこともありました。
そのため、一時期は、なんでこんなに音痴なのだろう、どうしたらみんなと同じように曲に合わせて歌えるのだろうか、ととても悩んだことがありました。

しかし、よくよく考えれば、音痴を改善したところで、他人からの評価しか上がりません。
将来の夢が歌手になることとかではない限り、音痴を治すことで生じるメリットはそんなにありません。
それならば、音痴を治すための練習に時間を割くことよりも、自分のもっと好きなこと、ワクワクできること、本当に自分にとってプラスとなることに時間を使ったほうが、人生が楽しくなります。

そうして自分は音痴であるという悩みは自然と消えました。

 

 

成功者の自動車適性検査の結果は悪い

 僕は最近、自動車学校を卒業しました。
自動車適性検査についての学科の授業を受けていた時、教官のある話が印象に残りました。
起業して、会社を一流企業まで育てる成功者は、自動車適性検査のうち、協調性の結果が著しく悪い傾向があるみたいです。
協調性の悪い傾向のある人間が、なぜ大きな会社を経営できるのか?
その教官は、一流の成功者は人の話を聞かないから、自分が正しいを思うことをひたすら行動に移し、その結果一流企業を育てているのではないかと予想しました。

僕も、その通りだと思います。
人がなにか大きな行動を起こそうとするとき、それを止めようとする人は必ず出てきます。
「君には無理だろ」「そんなことをするのは危険すぎる」「厳しい世界だよ」「現実を見ろ」「意識高い系は調子乗るな」「マジうけるワロタ」
などとと言ってくる人は絶対に出てきます。
しかし、その人たちの話を聞いて、それでも納得がいかない場合は、必ず自分の心の声に耳を傾けて、自分のやりたいこと、正しいと思うことをやりましょう。
前述のようなことを言う人たちに限って、成功したら「あなたを信じてたで」と言い寄ってきますから、注意してください。
禄でない人の話に耳を傾け、その人たちが言う通りに人生を歩んでも、何も人生は楽しくありません。
人の話を聞かない傾向にある人が、意外と成功していたりするのも、六でない人の話に耳を傾けないからだと思います。
自分の人生は自分で決めることができるわけですから、自分が正しいと思うことをひたすらやり続けたほうが、後悔しないし、成功する条件にもなりえますし、何よりも人生を楽しめるでしょう。

 

 

「自分は変人」と思い込めば、他人の目は気にしなくなる

 しかし、「他人の目」を気にするなと言われても、長年の癖はなかなか簡単には治りません。
いくら「気にするな、気にするな」と自分に話しかけても、無意識に「他人の目」を気にしてしまうことはあると思います。

そこでおススメの方法が、「自分は変人」と思い込むことです。
よく考えてみてください。
例えば学校のクラスで目立ったり活躍していた人は、変わった人が多かったと思います。

また、世の中でイノベーションを起こしてきた人たちにも、かなり変人は多くいます。
例えば、トーマス・エジソンは、小学校を中退しましたし、スティーブ・ジョブズは、大学の中を裸足で歩いていたといわれています。

彼らが活躍できたのもまさに、「他人の目」を気にしなかったからだと思います。
他人がどう思うかよりも、自分がどう思うかを重視していたのです。

それに加えて、変わった人が目立つようなことをしても、許す風潮もあると思います。
自分を「普通の人間」と考える人は、目立つようなことをしようとするときに、潜在意識下で自分を許すことがなかなかできないことも、行動できない要因になってしまってることも考えられます。
そこで「自分は変人」と思い込むことで、逆にある一種の行動するための一押しになると思います。

 

 

目立つようになれば、アンチは出てくるが…

 目立つようになれば、必ずアンチがわいてきます。
しかし、アンチがわくことも、ある意味成功に近づくための必須条件と言えます。
どの成功者にもアンチはいますから、アンチがわくことを恐れることはありません。

そもそも、なぜアンチがわいてくるのかを考えなければなりません。
実のところ、アンチになる人は、アンチになりたいがためにアラ捜しをし、欠点だけを見つけ、そこをひたすら叩く人が圧倒的に多いと思います。

例として、僕のブログを上げましょう。
もしこのブログにアンチがわいたとしたら、その人たちはそもそも僕のブログを中立的に読みません。
アンチになりたいがために、ブログの欠点だけを見つけ、そこをひたすら叩くと思います。
人は誰しも長所と短所を持っていますから、人が作るコンテンツにも、製品・サービスにも、どれにもそれぞれ長所と短所があります。
アンチは、いわばクレーマーと同じようなものです。
クレーマーがあらゆる製品・サービスの長所には目をつぶり、短所だけ見つけまくって、数時間のクレーム電話をするのと同じように、アンチもあらゆる人物やコンテンツの短所・欠点のみを見つけ、それを攻撃してくる人たちなのです。

そいう人たちのことを気にして、欠点・短所を治したところで、結局彼らはまた新たな欠点・短所を見つけますから、いたちごっこになってしまい、自分は成長できません。

それでしたら、自分の長所をさらに伸ばすための努力に時間を割いたほうが、何百倍も有意義になりますので、アンチは無視してどんどん行動しましょう。

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他人の目を気にせずに、後悔のない人生を送りましょう!

 もう一度言いますが、自分の人生の主役は自分だけです。
他人ではありません。
自分の人生を他人の目を気にせずに楽しめるための一つのツールとして、「自分を変人だと思い込む」を活用しましょう。

 

本日も読んでくださいましてありがとうございました!

日本は終わった、オワコンだ、と考えるのは誤りだ

 みなさんこんにちは!

本日も読んでくださいましたてありがとうございます!

今回の記事は、「普通の人生はどん底に落ちる」の記事の続編として書かせていただいております。
まだ読んでいない方は、ぜひそちらの方を先に読んでいただけたらと思います。

 

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 前回の記事では、今の経済状況のまま、受け身で生き抜くことはとても困難なことだと書きました。
今回は、受け身でなく主体性をもって能動的に動くことの大切さを考え、また、日本という国にもまだまだチャンスはあるということを思索していきたいと思います。

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決してあきらめてはいけない

みんなが「理想の人生」に向かって努力すれば、やがて「理想」は「普通」にもどる

 「理想の人生」を実現するには、周りと同じことをやっていてはいけません。
まず就活を通るためには、いかに自分の市場価値を高め、周りの人と自分を差別化できるかを常に考えなければなりません。
それを考え付いたら、即行動です。
勉強でも、新しい習慣の導入でも、留学でも、旅行でも、起業でも、なんでもかまいません。
自分の好きなこと、気になること、やりたいこと、実現したいこと、正しいと思うことは、思いついたら即実行です。
たとえそれが他人になんて思われようが、関係ありません。
たとえ親のような、自分より立場が上の人にやめとけとどれだけ説得されても納得いかない場合は、やりましょう。

今の人々は、考えるだけ考えて、面倒くさかったり、他人の目を気にして行動しない人があまりにも多いです。
そのため、思い立ったが吉をモットーにして、行動力を身に着ければ、それだけで自分の市場価値は上がり、スキルも身に付きます。

行動力、自主性、スキルが身に着けば、就活の門を通れる確率は高くなるでしょう。

就活の門のくぐって晴れて正社員の社会人になっても、決して気を抜いてはいけません。
社会人になってから、勉強を疎かにする人も多すぎます。
人は永遠に勉強しなければならない生き物です。
今の世の中で勉強を放置する人間はすぐにどん底に落ちます。
ただし、高校受験のようなガチガチの勉強をしろとは言いません。
仕事にかかわること、自分の好きなこと、興味のあること、あるいは正しいと思うことを勉強しましょう。
自分を常にアップデートする人は、人工知能に置き換えられることはありません。

結婚でも同じです。
自分磨きを心掛け、能動的かつ積極的に動ける人間ほど、恋愛では有利です。
あらかじめ行動力を身に着ければ、そこまで困ることはないでしょう。

もし非正規雇用になったとしても、常に努力は続けるべきです。
正社員登用制度を狙ってみてもいいですし、何か自分でビジネスや副業を始めてみてもいいかもしれません。
またやりたい職業や狙いたい業界があれば、即戦力になれるようにスキルを身に着け、だんだんと大きい会社に転職していくのもアリです。
ここはアメリカ式を見習うべきです。
アメリカはすべての労働者が契約社員です。
なりたい職業がある人は、インターンシップから始めて、規模の小さい会社から大きな会社へと転職を繰り返しながら、キャリアを積み上げていきます。
日本のように新卒でいきなり大企業に入ることは非常に稀です。
幸い、現在の日本では転職市場が成長していますから、非正規社員であったとしてもスキルを高め、信頼と実績を着実に作り、きちんとキャリアを積み上げれば、いい企業の正規社員になるハードルも下がるでしょう。

 

 

「常に頑張っているが、生活がちっともマシにならない」場合

 まず一つ目として考えられるのが、誰のために頑張っているか、です。

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 詳しくは上の記事に書いています。
人には誰しも平等に24時間が与えられています。
しかし、その24時間をどのように使うかで、甚だしい差が出るものです。

「常に頑張っているが、生活がちっともマシにならない」方は、一度立ち止まって、この頑張りは本当に自分へのための頑張りかどうか、あるいは自分の頑張りが本当に将来の自分にとってプラスになるか、よく考えましょう。
さまざまな答えが出ると思いますが、その答えもさらに分析したら、いくつか改善点が出てくるはずです。
その改善点を生かして、頑張っていきましょう。

また、貧困問題はほとんど政治の責任です。
もちろん例外もいますが、多くの政治家は国民を軽視しています。
しかし、それはまぎれもなく、投票率が悪いからであります。
そのため、一部の人たちの権益さえ守っておけば、選挙に受かってしますのです。
政治がきちんを国民に向くようにするには、投票率を上げるしかありません。
詳しくは下の記事に書いています。

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 なお、政治に不満を持っているのに、投票権があるにもかかわらず投票に行かないということも、立派な行動力のなさと社会に対する受動的な姿勢の表れであることに違いありません。

 

 

日本は覚醒したらすごい国である

 上に述べたことを、日本に住んでいる多くの人が実践したら、「理想の生活」は「普通の生活」に戻るに違いありませんし、かつてのバブル時代のような経済水準に戻ることも夢ではありません。

今はどの先進国も世界における経済的地位の低下に直面しています。
しかし、「先進国はみんな落ちぶれているから、日本が落ちぶれるのは仕方ない」という考え方で、本当にいいのでしょうか?
僕はそう思いません。

まずは日本の歴史を見てみましょう。

実は日本は、ギネスブックに「世界最古の国」として登録されておりますので、日本に住む人ならばぜひ知っておいてほしいです。
世界最古の文明は黄河文明、今の中国ですが、中国は頻繁に体制が変わったり分裂したり支配層が入れ替わったりを繰り返してきましたので、歴史的に見ると同じ国ではありません。
それに対して日本はずーーーーっと昔から今の天皇家が国を治めていましたし、実質的な統治者が幕府だった時代でも天皇家はずっと生きていました。
そのため、歴史学的に見てずっと同じ国と言えるみたいです。

まぎれもなく、この「世界最古の国」は、世界史上でさまざまな奇跡を起こしてきました。

日本は19世紀半ばに開国してから、わずか50年足らずで日露戦争で勝利して、ド田舎国家からまさかの列強入りしてしまった国です。
当時の日本以外のの列強国が列強国であった理由は、国土が広かったり、たくさんの資源を持っていたり、あるいは広大な植民地を持っていたからです。

しかし日本にはそれがほとんどなかったにも関わらず、他の列強国があの手この手を駆使して100年単位の時間をかけて積み上げてきた地位に、わずか50年で上り詰めたのです。

これはなかなか歴史的に見て鳥肌が立つことです。

また、第二次世界大戦で、空襲を受け、原爆を落とされて、国が焼け野原になっても、わずか20年足らずでオリンピックを開催し、さらにその20年後には日本製のハイテク機器が世界を巻席しました。

原爆を落とされた影響で、欧米の専門家たちは、日本は半世紀近くは復興を成し遂げることは厳しいだろうと言われていましたが、復興どころか世界の自動車市場やハイテク機器市場を支配するに至ってしまいました。

たしかに、当時の日本の経済成長の要因として、人口増加や朝鮮特需を挙げることもできます。
しかし、それをもってしても、焼け野原になった国があそこまでのハイレベルな先進国になれたのは、奇跡的な出来事であり、これからも何世代にもわたって語り告げられることでしょう。

最後に、日本がなぜ数々の歴史的な成し遂げたかというと、それは日本の唯一の資源、「人」です。

 

 

「人」の力だけで、物事は大きく変わるものである

 さまざなな人の努力の結晶が、かつての日本が成し遂げた数々の奇跡であり、また今の日本を形作っています。
日本を作ってきた人々の努力が無駄にならないよう、私たちも主体的に、各々が自分たちの頭で考えて努力しなければなりません。

「人」の力だけでここまでたくさんの奇跡を日本という国は起こしてきたわけですから、私たちの世代でもそれは決して不可能ではありません。
変化が多く、不確実な時代だからこそ、逆境をチャンスだととらえ、頑張っていきましょう。

 

本日も読んでくださいましてありがとうございました。

「普通の人生」を過ごすのをいろんな意味で諦めたほうが良い理由

 みなさん、こんにちは!

本日も読んでくださいましてありがとうございます!

みなさんは、自分のことを「普通の人間」だと思いますか?
将来は普通に就職して普通に結婚して普通に家庭作って普通に定年退職して普通に老後暮らして普通に死ぬ
このようなことを、考えたことありますか?
これをこれから「普通の人生」と考えます。

「普通に」生きていきたいというのは、誰しもが抱く願望だと思います。
この「普通に」の中には、「災難なく」「周りの人と同じように」「自分の親と同じような感じで」「あまり注目されずに」というニュアンスが含まれていると思います。

果たして、ずっと「普通」に生きていくと、「普通の人生」を送れるのでしょうか?
今回は、それを思索していきたいと思います。

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「普通に」型にはまった生き方でいいのか

 いわゆる「普通の人生」を過ごすのは、めちゃくちゃハードルが上がった

 上記の「普通の人生」を生きるのは、とても難しくなりました。

「普通の人生」を誰しもが生きることができたのは、日本が絶好調だった時代だけです
およそ、80年代の10年間だけです。

なぜこの10年間しかできなかったことを多くの人が目標にしているかというと、その時が一番日本が世界的に輝いていて、経済状況も良かったからです。
経済状況がよくなったら、生活水準も引き上げられるが、経済状況が悪化しても、あまり簡単に生活水準を人々は下げようとしません。
そのため、一番生活水準がよかったころの生活を、実現することが難しいにもかかわらず、みんなはそれを当たり前のことだと考えるのです。

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「普通に就職して普通に定年退職する」のどこが難しいのか

まず「普通に就職」というところです。
「普通に就職」というのは、新卒で正社員として採用されて、ずっと同じ企業で働いていくと多くの人は考えていると思います。
しかし近年、日本の新卒一括採用を見直す動きができています。
その代わりに、転職市場がとても活発になってきています。
つまり、どいうことかというと、企業は何もできない新人を一から育てることより、即戦力になれる人を求めるようになったのです。
実は、新卒で就職した人のうち、三割の人は三年以内に離職することが判明しています。
何も利益をもたらさないにも関わらす、多くの企業が新卒を雇ってきたのは、若いうちから会社なりのやり方を学ばせることで、将来企業に多大な利益をもたらすだろうと思われたからです。
しかし、三割もの新卒が辞めていったら、会社にとってはかなり損です。
したがって、多くの企業は、新卒市場では、早いうちに企業に利益をもたらすことができる優秀な人を選ぶようになり、また転職市場でも即戦力になれそうな人しか採用しないようになりました
つまり、新卒でいきなり正社員になることから、すごくハードルが高くなりました。

また、仮に正社員になれたとしても、ずっと同じ会社で働ける保証はありません。
日本企業でも、終身雇用は限界だという見方が強まっており、実際「早期退職・希望退職者の募集」という名の「リストラ」も横行しています。
またAI技術が発達することで、多くの職業が必要なくなるともいわれています。
運よく正社員になれたとしても、会社にとって好ましい業績を残せなかったら、簡単にリストラの対象になってしまったり、自分の仕事をAIに奪われて会社に必要なくなる可能性もあるのです。

 

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「普通に結婚する」も難しくなった

 かつての日本は皆婚社会であり、1990年までの生涯未婚率は5%以下だったみたいです。
それに対して、今の生涯未婚率は、男性が23.4%、女性が14.1%です。

なぜ、これほど結婚しない人の割合が増えたのでしょうか?
これには、あえて「結婚しない」ことを選択している人と、結婚はしたいがそもそも「結婚できない」人に分かれるでしょう。

まずはあえて「結婚しない」の選択から説明します。
明治維新以降、日本政府は日本国民に日本人の自覚を与え、富国強兵を進めるべく、家父長制を推進しました。
その結果、男性は外で働いて生活の糧を稼ぎ、女性は家の中で家事や子育てをするべきだという価値観が出来上がりました。
そうすると、女性は独身では生きていけなくなりました
男社会の中で女性が安定的な職業を見つけるのは至難の業になりました。
そのため、女性が生きていくには、どれだけ結婚したくなくても、パートナーを見つけ、結婚し、夫の収入に頼るしかありませんでした。
男性も家事能力を身に着けることが期待されなかったため、必然的にパートナーを必要としていました。
そのため、当時はもし近所や親戚にまだ結婚できていない男性や女性がいたら、親戚や近所のみんなでパートナーを探して、お見合い結婚をさせていたとも言われています。

それにくらべて現在は、女性は自立して十分に生きていけます。
たしかに未だに日本の上層部は古い価値観を持った男性が立場を占め、また男性に比べ女性のほうが平均年収が低いこともありますが、80年代以前に比べたら今のほうがはるかに自立して生きやすいと思います。
また、男性でもきちんと家事能力を身に着けて頑張っている人もいれば、それがなくともなんとかなっている人も多いです。
従って、男女ともにパートナーなしでも生きていけるようになった分、あえて「結婚しない」選択肢をとる人は増えていると思います。

 

次に「結婚できない」という人です。
これは、お見合い結婚が減ったことと、男性側の収入が減っていることが原因です。
男女ともに自立して生きていけるようになったため、結婚するかどうかは本人が自由に決めれるようになりました。
そして、せっかくなら、性格や気の合う人と結婚しようと考える人も必然的に増えます。
その結果、お見合い婚の文化は廃れ、自由恋愛の時代になりました

しかし、自由恋愛になったことで、恋愛できる人とできない人に二極化してしまいました。
お見合いの時代は、自分は何もせずとも親や親戚、あるいは近所の人たちがパートナーを見つけてくれる時代でした。
それに対して自由恋愛の時代は、自ら能動的に動かないと、パートナーは見つかりません。
全ての人には個体差がありますから、みんなが能動的かつ積極的に動けるわけではありません。
従って、ずっと受け身の姿勢の人は結婚しにくくなりました

また、男性の収入が下がっているのも一因です。
バブルが崩壊して、日本経済が落ち込みました。
しばらくたってから、2000年代初頭に日本の労働市場を効率化させ、日本企業の競争力を高めるべく、労働規制が緩和されました。

そして派遣労働をはじめとした非正規雇用が増えました。
しかし、不安定な非正規雇用が増えた分、安定している正規雇用は減りました。
いくら男女が独立して生計を立てることができるようになったとは言え、女性は妊娠・出産期には仕事できませんし、またより良い環境で子どもを育てたいと考える方は多いと思います
そのため、必然的に非正規雇用の男性より正規雇用の男性のほうが結婚相手にされやすくなります
実際、就業構造基本調査によると、35~39歳の大卒男性のうち、正規雇用の方々の未婚率はおよそ25%であるのに対し、正規雇用の方々の未婚率は7~8割です。
したがって、特に男の場合は正社員になってずっとリストラされないまま生きていけないと、結婚しにくいし、また日本は一夫一婦制のため結婚できない男性が増えると女性でも結婚できない人が増えます。

したがって、「普通に結婚する」もかなり厳しくなりました。

 

 

「結婚」のハードルを乗り越えたら、「家庭をつくる」のはそこまで難しくない

 しかし、「普通に家庭を作る」のは、各個人の考え方にもよりますが、「結婚」のハードルさえ乗り越えたらそこまで困難なことではありません。
実は結婚したカップルが平均的に設ける子どもの数は長らく変わっていません
日本の少子化は、結婚したカップルが子どもをあまり産まなくなったから起きたのではなく、そもそも結婚することが難しくなり、結婚する人の数が減ったから起きたのです。
したがって、もっとたくさんの若者が結婚しやすくなる政策を作れば、すこしでも少子化は改善されると思います。

 

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「普通に家庭を作る」にマイホームも入っていたら、そこは少々厳しいかもしれません。
少子高齢化によって、日本はこれから歴史上でも類を見ないような人口減少に見舞われます。
人口が減少すると、まずは住居に対する需要が減るため、不動産市場が一番最初に影響を受けると言われています。
すると、マイホームを建てたとすると、土地の値段は都心部でもない限り下がり続け、また家を売るとなっても簡単に買ってくれる人は現れなくなります。
そうすると、ローン組んで支払った額以下の資産価値しか持たなくなるため、マイホームをこれからの時代に建てるのはやめておいたほうがいいです。

 

 

「普通に老後をくらす」果たして年金だけで生きていけるのか

 「普通に老後を暮らす」のも大変厳しくなると思います。
その理由は、年金です。
年金はそもそも人口増加を前提としたシステムであり、人口減少社会ではメリットとデメリットが逆転します。
さすがに年金システムそのものが崩壊することはありませんが、年金の支給額だけで生きていくことはできなくなります。
そのため、老後になっても働いていくか、現役の時に十分な蓄えをしなければなりません。

人口が減少することで、あらゆる物に対する需要は減り、前述の住居費だけでなく、電気代や食費も値段が下がると思われます。
しかし、値段を下げざるを得ない企業の業績は悪くなりますから、その企業の従業人の給与は減ります。
そしてその従業員たちの消費は冷え込み、さらに景気にとってマイナスになります。
やがて、それが国全体に波及し、景気は落ち込み、給料も減ります。
ですので、生活コストが下がるからと言って貯蓄できるかといえばそうでもありません

 

 

「普通に死ぬ」・・・いつ死ぬかわからない

 現在の医療技術は日に日に進歩し、かつて不治の病といわれていた病気も治療できるようになりました
また、人々の健康意識も近年上昇し、それに伴って「元気な高齢者」もこれからますます増えてくるでしょう。
高齢者はこれまで「社会的弱者」とみなされていましたが、これからはその考え方にも何らかの変化が生じてくると思います。

しかし、ここでも問題があります。
いつ死ぬかわからないのです。

人間ならだれしも、長生きしたい生き物だと思います。
別に長生きすることが悪いとは到底思いません。

ただ、長生きするためにもお金はかかります
この問題も先述の項に類似しますが、やはり年金だけで長生きすることは難しくなります。
きちんとした蓄えが必要になってきます。
それがなかったら、死ぬまで働くしかないです。
自分が元気でしたら、おそらく働くことはそこまで苦ではないはずです。
しかし、100歳になっても、みんなが働けるかというと、そいうわけではないと思います。

従って、医療技術が進歩し、長生きできるようになった分、年金に頼らずに生きていけるよう、しっかりお金を準備しなければなりません

 

 

「普通の人生」は「理想の人生」だ

 上に述べました通り、いわゆる「普通の人生」をこれからの日本で送ることは大変難しくなりました。
他の人と同じことさえやっとけば、「普通の人生」を送れた時代も確かにありました
しかし、現在の日本の経済水準は下がりました。
そのため、周りの人と同じことをやっているだけでは、どん底に落ちてしまいます。
バブルの時の「普通の人生」は、今の経済水準では「理想の人生」です
「理想の人生」を生きていくためには、かなり努力をしなければなりません。

 

 

諦める必要はない

しかし、上記のことを克服できるチャンスはあります。
一人一人が自分の頭で考え、能動的で積極的に動けば、また必ず明るい時代がやってきます。
歴史的に見て、日本という国は常にピンチをチャンスに変え、とんだ困難な状況でさえ切り抜け、何回も躍進してきた国です。
チャンスはあります。
それについては、また下の記事に書いています。

 

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これからも頑張っていきましょう。

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本日も読んでくださいましてありがとうございました。